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この世界には偶発的、意図的を含め、デザインを持たない事物は存在しません。それは原子核内の陽子や中性子であろうと、遥か彼方のブラックホールであろうと変わりはありません。何らかの仕組まれた、もしくは意図しない目的のために状態、 形態が決められています。それをデザインしたのが神なのか悪魔なのかは解りませんが、目的達成のための形が与えられている訳です。私たちが何かをデザインするとき、もちろんそこにも目的達成のための方法論が含まれています。商品の特性をいかに解りやすく伝えるか、逆に特性をぼかすことで個性を際立たせるといった少しひねくれた方法をとることもあります。同じ種類の商品であっても届けるべき場所や目的によって表現の仕方が変わっていきます。答えはひとつではありません。10年前は多分ベストであったものも、今は陳腐な流行遅れになることもよくあります。そのデザインに何が起こったのでしょう?酸化してくたびれてしまったのでしょうか?その答えは私たち自身の生活スタイルが変わったということです。生活スタイルに密着したデザインは遅かれ早かれ見直される運命にあります。その運命を進歩とか流行と呼びますが、文化を構築する要素としては非常に重要なファクターです。いろいろなもののデザインはそれに合わせて再構築されるものと、長く変わらずに受け継がれるものとに分かれます。再構築されるものは常に新しい輝きを求められ、輝きが大きければ大きいほど色あせた時との差が大きくなります。長く変わらないものは生活スタイルに沿うというよりは、長い経験の末に獲得した合理性の側に寄り添っています。私たちは文化の成熟度というのはこの変わらないことの比率が高いことだと考えています。もちろん、進歩や流行は重要でその時代を引っ張る大きなエネルギーであり、今後の進むべき道を示す指針でもあります。だからこそ、文化の基礎部分にはそれらの勢いをしっかりと受け止めてくれるそぎ落とされた、シンプルでパーマネントな部分が必要なのではないでしょうか。日本のデザインに関係した業界では、近年このような文化の基礎的な部分をあまり考えずに突き進んできたようなところがあります。気がつくと街は均質化され、特化された流行は特化された消費用に設定された街で次々と移り変わっていきます。あとには記録以外何も残さずに流れていきます。私たちはそのような刹那の中に残すべき何かをひっそりと、もしくは大胆に織り交ぜたクリエイティブを目指しています。すぐに結果は見えなくとも、長く蓄積されて行くことで、しっかりとした足腰を持ち、しかもなお、チャーミングさにあふれた日本の進化した文化の姿が必ず見えてくるはずです。

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●デザインは文化なの?

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